Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

おしんの動画を見たいならこちら!小林綾子さんの演技がすごい

朝の連続テレビ小説

おしんは1983年(昭和58年)から一年間朝ドラとして放送されました。

おしんと言えば視聴率だと思います。

平均視聴率52.6パーセント、最高視聴率は62.9パーセントという当時のほとんどの方が見ていたドラマでした。

そんなおしんがBSで朝7時15分から復活します。

スポンサーリンク

おしんのあらすじ

昭和58年(1983)春、83歳のおしんは自ら築き上げたスーパーマーケットの社長の座を息子に譲って失踪する。

行き先は故郷の山形。

明治の終わりごろ、雪深い山形の山奥の農家に生まれたおしんは、両親の愛に包まれながらも毎日が極貧との闘いだった。

少女時代は小林綾子さんが演じております。

数え年7歳のおしんは小学校へも上がれず、米一俵とひきかえに年期奉公に出ることになりました。

旅立ちの朝、おしんを乗せた筏(いかだ)が雪解けの最上川を下っていく時、母・ふじの無言の涙、父・作造の

「おしん、すまねえ」

というつぶやきに、おしんは両親の愛の深さを知ります。

奉公先の材木屋で辛い仕打ちに耐えたのも、両親を思う一心からでした。

ところが、ある日、盗人呼ばわりされ、おしんは奉公先を飛び出します。

 

ぬれ衣を着せられ、祖母にもらった50銭銀貨まで取りあげられて、おしんは奉公先を飛び出します。

吹雪の中で行き倒れたおしんを救ったのは、遠山俊作という若い猟師でした。

山奥の小屋で、俊作や炭焼きの松造じいと暮らしながら、俊作から字やそろばんを習い、

「戦争はいけない!人を愛せる人間になれ!」

と教えられます。

 

実は、

俊作は日露戦争の脱走兵だったのです。

春が近づき、俊作がおしんを村まで送り届けますが…。

 

目の前で俊作が兵隊に射殺され、おしんは心に深い傷を負って実家に帰ります。

母・ふじと祖母・なかは温かく迎えますが、父・作造は奉公先を逃げ出した娘に辛く当たりました。

作造はブラジル移住を決意します。

なかは自分さえいなければと崖から身を投げようとして、おしんに救われます。

ふじが銀山温泉に出稼ぎに出た後、おしんに酒田の奉公話が舞い込みました。

酒田に行く途中、おしんはふじのいる銀山温泉へ向かいます。

 

父や祖母に内緒で銀山温泉にいるふじを訪ね、親子水入らずで一夜を過ごしたおしん。

翌朝、ふじは酒田に向かうおしんに、

「これを母ちゃんの代わりだと思って頑張れよ」

とお土産のこけしを持たせて送り出します。

奉公先の米問屋・加賀屋には、おしんと同い年の加代というわがまま放題に育った跡取り娘がいました。

その加代がおしんの大切にしているハーモニカを奪お

うとしたため、おしんは加代を突き飛ばしてしまいます。

暇を出されることを覚悟していたおしんは、なぜか許されます。

それは意外にも加代の願いだったのです。

それ以来、姉妹のように仲良くなったおしんと加代。

大奥様のくにが二人の手習いを見てくれることになりました。

学校に通えないおしんのためです。

酒田に電気が引かれる日、工事を見物していた加代が電柱の下敷きになるところを、おしんが間一髪で助けます。

やがて、おしんは加賀屋になくてはならない存在になっていきました。

青春編は田中裕子さんが演じております。

加賀屋に奉公に来て7年、おしんは立派な女中頭に成長しました。

16歳になったおしんに縁談が持ち上がり、酒田の女学校に通う加代は

 

「好きでもない男と結婚するのは間違い」

 

と猛反対。

ある日、おしんと加代は刑事に追われる浩太に出会います。

加代が先に好意を示しましたが、おしんもまた、小作を救う農民運動に奔走する浩太にひかれていきます。

そして、浩太からおしんに来た手紙を手にした加代が、おしんに絶交を言い渡します。

 

加代と浩太が駆け落ちして、加賀屋は重苦しい空気に包まれました。

おしんは縁談をことわり、暇をもらって8年ぶりに帰郷します。

姉のはるも製糸工場から帰ってきましたが、過酷な労働で胸を患っていました。

父も兄も冷たく、はるを納屋に隔離します。

おしんの必死の看病もむなしく、はるは髪結いになる夢をおしんに託して死にました。

はるの志を継ぐおしんは、都会への期待と不安を胸に、夜汽車で東京へ向かうのでした。

 

16歳の夏、上京したおしんは浅草の髪結い屋の長谷川たかに弟子入りします。

最初は下働きでしたが、おしんの気配りは他の弟子たちにも受け入れられ、ひと月あまりで正式に弟子として認められました。

髪結いには最も忙しい正月、たかはおしんに梳き手(すきて)をやらせることにします。

 

異例の昇格でしたが、大みそかの朝早くから元日の昼頃まで、寝る時間も食事を取る暇もないほどの忙しさ。

やがて、2日の朝が明けて…。

 

大正7年(1918)8月、おしんは米騒動に巻き込まれ、警察に身柄を拘束されました。

店の仲間からは白い目で見られ、風当たりも強くなったため、見かねたたかはおしんが独立できるように洋髪の手ほどきをします。

カフェで働く染子の髪を結ったことをきっかけにして、おしんは出張してカフェで働く女性たちの髪を結ったり、恋文の代筆や仕立物まで頼まれるようになります。

翌年、おしんは銀座のカフェで働く加代と再会しました。

 

出ていった浩太が戻ってくると信じながら、加代はすさんだ生活を送っていました。

おしんは一度酒田に戻ることをすすめ、加代は帰郷します。

加賀屋では温かく加代を迎え、跡取り娘の縁談が進められました。

一方、おしんは加代のアパートで浩太と再会し、加代の縁談の話を告げますが、浩太は

「その方が加代は幸福になれる、僕に会ったことは内緒にしてほしい」

と頼みます。

おしんは加代の婚礼に出席するため、酒田に向かいました。

 

加代の祝言の日、おしんは心を込めて文金高島田を結いました。

浩太のことは言わず、これで良かったのだと自分を納得させます。

3年ぶりに実家に寄ったおしんは、どん底の暮らしを見て、仕送りを約束して東京へ戻りました。

しかし、加代のアパートに浩太を訪ねたおしんは、警察に連行されてしまいます。

身元引受人になってくれたのは、ラシャ問屋の田倉竜三でした。

竜三の笑顔はなぜか、おしんの暗い心をなごませるのでした。

 

田倉竜三がおしんを嫁にすると言い出し、田倉商会は大騒ぎ。

お目付役が手切れ金を持って訪ねると、おしんは怒って、きっぱりと断ります。

そんな折り、父・作造が兄に嫁が来るからと改築費用を無心してきました。

おしんは仕事を増やし、食費まで切りつめたため倒れてしまいます。

竜三の献身的な看病でおしんは回復しますが、金の催促に上京してきた父におしんは思わず、

「竜三さんのとこへ嫁に行く」

と言ってしまいました。

 

おしんと竜三は二人きりで祝言を挙げました。

田倉家に入ったおしんは、お目付役の源右衛門の厳しい目の中、実家へ送金するため髪結いを続けながら妻の役割もしっかり果たしました。

佐賀から竜三の父が上京し、二人の事を許します。

実は源右衛門の手紙が、竜三の父の心を動かしたのです。

それも束の間、作造危篤の電報を見たおしんは、急いで山形に駆けつけます。

作造は礼とわびを言い、結婚を祝福して息を引き取りました。

試練編

おしんは父・作造の最期を看取り、結婚の報告をしようと酒田の加賀屋に寄りました。

そこで、加代の不幸な結婚生活を見て、改めて竜三との暮らしを大切にしようと決意します。

帰京すると、染子をはじめカフェの女給たちが結婚パーティを開いてくれました。

初めて竜三とダンスを踊ったおしんは、この幸福が一生続いてほしいと願います。

しかし、世界大戦のあとの不景気が、田倉商会とおしん夫婦にも、暗い影を投げかけていました。

 

不況の影は田倉商会にも忍び寄り、おしんは竜三を支えるために、また髪結いとして働くことにしました。

夫の仕事がうまくいかなければ、妻が働いて助けるのが愛情だと信じて疑わず、男のプライドを察することができなかったのです。

焦った竜三は詐欺に遭い、自暴自棄になって飲み歩き、おしんをののしるばかり。

夫婦の心は通わず、離婚を決意した時、竜三の子を宿していることに気づきました。

おしんは思い切った手段に出ます。

 

生まれてくる子供のためにも、夫婦の関係と商売を立て直さなければ…と思ったおしん。

高級布地に変わる新しい商売の手始めに在庫処分を思いつき、知り合った露天商の親分・健の助けを借りて、布地のたたき売りで資金を作ってしまいます。

そして、当時普及し始めた子供服に目をつけ、製造・販売をしようと準備を始めました。

初めは反対していた竜三も、おしんの熱意に負け、夫婦が力を合わせて新しい商売に取り組みます。

 

大正11年(1922年)秋、田倉商会は子供服専門店として新装開店しますが、一向に客は訪れません。

あきらめていたところ、呉服と洋服のしにせ・大野屋がおしんの子供服を買い取り、洋服売場に並べたとたん、飛ぶように売れ出しました。

竜三は事業を拡大しようとして、おしんとぶつかりますが、源右衛門の言葉で竜三は目を覚まします。

その年の暮れ、山形の母・ふじが上京。

おしんの出産を控えて、竜三が呼び寄せていたのです。

 

おしんが無事に長男を出産し、竜三が雄(ゆう)と名づけました。

明るい笑顔が耐えない田倉家でしたが、竜三の実家では父の大五郎以外、誰もおしんを嫁と認めていません。

竜三は実家を見返し、おしんを嫁と認めさせるために、既製服の工場建設を進めます。

大正12年(1923年)9月、竜三の執念で新工場が無事完成しますが、関東大震災に見舞われ一瞬にして倒壊、源右衛門は雄をかばって死にます。まさに悪夢のようでした。

 

建てた工場も源右衛門も失って、竜三は故郷の佐賀に引き上げる決心をします。

嫁と認められていないおしんは雄と二人で東京に残ろうとしますが、上京した母・ふじに、雄を父なし子にする気かと叱責(しっせき)されます。

重い心で佐賀へ着いたおしんは、竜三の父・大五郎には温かく迎えられましたが、竜三の兄と母の清には冷たく扱われました。

翌日から畑の開墾を命じられます。

おしんは、そこで佐和という女性に出会います。

 

どんなに尽くしても家族と認められず、おしんの心は冷えるばかりでした。

竜三は父の有明海の干拓事業を手伝い、土地を持ちたいと言い出します。

失敗も多い事業をそそのかしたのはおしんに違いないと母や兄たちはなじり、たまりかねたおしんが竜三に東京へ帰ろうと訴えますが聞き入れてくれません。

ついにおしんは雄を連れて、田倉家を出ようと決意します。

そんな時、いつも畑で慰めてくれた佐和が掘り割りに身投げしました。

 

おしんが東京に戻ろうとしていることが竜三に知れ、激しい争いの末、竜三に突き飛ばされて右肩をケガします。

田倉家脱出をあきらめたおしんに、さらに過酷な日々が待ち受けていました。

右肩の傷は思いのほか深く、半月たっても右手の自由が利きません。

畑仕事も家事もままならず、竜三の母たちからは仮病だとののしられます。

おしんは二人目の子を宿していたのですが、新しい命の芽生えを誰にも知らせる気になれませんでした。

自力編

おしんは二度目の出産を控えて黙々と働き続けていましたが、東京へ戻ろうとしていたことが竜三の母・清に知れ、

「出て行け!」

と激しい剣幕に会います。

思いがけなく竜三がおしんをかばい、おしんは夫の思いやりさえあれば我慢できると心を強くしました。

ところが、竜三の妹・篤子が出産で里帰りし、

「ひとつ家の中にお産が二つあると、どちらかが欠ける」

という迷信を持ち出して、清はおしんを家から追い出そうとしていたのです。

 

おしんには臨月まで盛夏の田んぼで草取りをさせますが、娘の篤子には優しい竜三の母・清でした。

二人に出産日が近づくと、おしんは田倉家の屋敷の外にある荒れ果てた小屋へ移ることになりました。

清が迷信を気にして、母屋の納戸は篤子の産室にするためです。

季節遅れの台風が吹き荒れる夜、おしんと篤子の陣痛が始まりました。

それが大きな不幸を呼ぶことになるとは、まだ誰も知りませんでした。

 

佐賀に来て1年余り、おしんが田倉家を出る日が来ました。

今度は夫の竜三にも止めることはできません。

ただ、竜三の母・清の反対で雄を渡してもらえないのが、心残りでした。

出発の日の朝、意外にも兄嫁の恒子が雄を連れてきてくれました。

東京に戻ったおしんは髪結いの師匠・たかを頼りますが、右手が完治しておらず髪結いの仕事ができません。

雄と二人で生活できる仕事を探すおしんの前に現れたのは、露天商の親分・健でした。

 

大正14年(1925)春、健の世話でドンドン焼きの店を始めたおしん。

順調だったのも束の間、健の女がどなりこんできてあきらめてしまいます。

万策尽きて山形に帰郷しますが、ここにも居場所はありませんでした。

近くの農家で細々と日当を稼ぐおしんに、酒田の加賀屋から大奥様のくにが危篤だという知らせが届きます。

くには加代の将来をおしんに託し生涯を終えました。

加代はおしんに、酒田で商売をしないかと持ちかけます。

 

加賀屋のくにが亡くなった年の初夏、おしんは酒田で一膳飯屋を開店しました。

おしんの窮状を知った加代と加賀屋が助けてくれたのです。

安くてうまい定食を目当てに、次第に馴染み客も増えていきました。

一方、加賀屋では加代の夫に経営が任され、夫婦仲の悪い加代は、おしんの店を手伝うことで寂しさを紛らわせます。

おしんは竜三を迎えて雄と三人で暮らせる日のために、もうけの薄い飯屋を懸命に切り盛りするのでした。

 

一膳飯屋は順調でしたが、おしんが竜三に出した手紙は竜三の母・清が破り捨てて連絡を取ることができませんでした。

大正14年(1915年)暮れ、おしんの店に浩太が現れます。

加代は、おしんを幸福にできるのは浩太しかいないと思い、一緒になるよう浩太にすすめます。

浩太はおしんと雄を引き取ろうとしますが、おしんは断ります。

おしんの辛い気持ちを察した浩太は、竜三の気持ちを確かめようと佐賀へ手紙を出しますが…。

 

おしんが酒田を去る日が近づいていました。

おしん家族が三人で暮らせるように、浩太が伊勢の魚の行商の仕事を紹介したからです。

加賀屋で過ごした幼い日々、浩太との出会い、加代と浩太と3人で交わす別れの酒…。

おしんは思い出を胸に、酒田から伊勢へ旅立ちました。

迎えてくれたのは真っ青な海と女網元のひさ。

優しいひさの励ましに力づけられ、おしんは懸命に魚を売り歩きました。

そんなおしんの前に、竜三が姿を現します。

 

竜三は台風で有明海の干拓地を失い、満州に旅立つ途中でした。

おしんは

「きっと迎えに来る」

という竜三の言葉を信じる以外にありません。

別れの朝、竜三は町まで行商の荷車を押しますが、荷車の重さと町までの遠い道のりにおしんの苦労を知ります。

家族は苦楽を共にしなければと考え直し、竜三は伊勢で魚屋を開店します。

親子三人水入らずで、厳しいけれども、幸せな生活が始まりました。

 

昭和4年(1929年)秋、おしんは2人目の男の子を出産しました。

佐賀で女の子を死産して以来、5年ぶりのうれしい二男の誕生です。

しかし、出産に付き添っていた母のふじが倒れ、白血病と診断が下されました。

おしんは日増しに弱っていく母を故郷の山形へ連れて帰りました。

ふじはわが家へ帰れたことを喜びながら、眠るように死にました。

母を失い、故郷に決別して伊勢に戻ったおしんのもとに、加賀屋倒産の知らせが届きます。

太平洋戦争編

加賀屋の倒産以来、消息不明だった加代は東京のカフェで働いていました。

加代の両親が死んだと聞き、おしんは加代と息子の希望(のぞみ)を伊勢に連れ帰ろうとします。

しかし、加代の身うけ金千円がなく、せめて希望だけでもと再びカフェを訪ねると、加代は血を吐いて死んでいました。

おしんは希望を引き取り、伊勢の海の見える丘に、加賀屋の三人の墓を作りました。

半年後、浩太は、加代の墓前で特高に捕まってしまいます。

 

露天商の親分・健が山形出身の初子という少女を大阪の遊郭へ売りに行く途中、伊勢に寄りました。

おしんは他人事に思えず、同郷の初子を引き取ります。

子供は増えるばかりで、竜三とおしんは前にも増して家業に精を出します。

昭和11年(1936)、おしんは4人目を出産しました。

折しも日本は戦争への道を歩んでいました。

おしんは、ひさの家で浩太に出会います。

拷問に耐えきれず思想を変えて、ひそかに出獄していたのです。

 

昭和12年(1937)暮れ、竜三の次兄の亀次郎が来訪し、おしん一家の生活に波紋を投げかけます。

亀次郎は陸軍少佐で、軍隊に大量に魚を納める仕事を竜三に世話します。

おしんには軍に便乗するような商売は納得できません。

さらに、いつも心の支えだった長男の雄が、陸軍士官学校に進みたいと言い出しました。

竜三は賛成し、おしんは大反対して対立します。

戦争の影は、世話になったひさや浩太にも忍び寄っていました。

 

昭和15年(1940)新春、おしんは雄と初子が思い合っていることを知り、温かく見守ろうとしますが、竜三は小作の娘など長男の嫁にふさわしくないと反対します。

戦争に便乗する竜三の商売も、おしんには不安でした。

そんな折り、おしんの兄・庄治が少年航空兵になった息子と福岡で面会した帰りに訪ねてきました。

おしんは戦争が身に迫ってきたと感じます。

昭和18年(1943)秋、京都帝国大学生の雄にも召集令状が…。

 

昭和18年(1943)秋、雄は学業半ばで入隊しました。

おしんと初子は一度だけの面会に行き、雄の元気な姿を見ます。

しかし、すぐに南方の前線へ送られたらしいと聞きます。

雄だけでなく、疎開させた禎や家出して特攻隊に入った仁の三人を手放したのは、母親として戦争に反対しなかったからと責任を痛感するおしんでした。

昭和20年(1945)夏、子供の無事を祈っていたおしん夫婦のもとに、雄の戦死公報が届きます。

 

昭和20年(1945)8月15日、敗戦。前日まで空襲におびえながら、日本の勝利を信じていた竜三とおしんはぼう然とします。

詔勅を聞いた翌日、軍部と戦争に協力してきた竜三は山中で自決します。

竜三の死から数日後、少年飛行兵を志願して家出していた次男の仁が帰ってきました。

出撃直前に終戦を迎え、一度は死線を越えた仁は、たくましい若者に成長していました。

おしんは、子供たちと一緒に暮らせる幸せを感じていました。

 

昭和21年(1946)春、田倉家に一人の復員兵が訪れました。

雄の戦友、川村です。ルソン島で雄の最期をみとり、遺品の日記帳を届けてくれました。

雄は必ず帰ってくると信じていたおしんも、雄の死を信じざるを得なくなりました。

しかも名誉の戦死ではなく、逃避行の末の餓死だったことに、心の底から怒りを覚えます。

悲しみの中、網元のひさから漁を再開したので行商で出直さないかと誘われ、おしんは一筋の光を見いだします。

 

再起編から乙羽信子さんがおしんを演じます

昭和25年(1950)、おしんはひさの援助で魚の行商を再び始め、小さな店を持つまでになりました。

おしんの戦争は、家出した養女・初子の幸せを見届けるまで終わりません。

露天商の親分・健や髪結いの師匠・たかの協力で東京にある外人相手のカフェで働き、おしんに毎月送金していた初子を見つけ伊勢に連れ戻し、家族で新しい店を盛り立てようとします。

しかし養子の希望(のぞみ)まで陶工になりたいと言い出します。

 

新しい店が軌道に乗りだした矢先、次男の仁が

「小さな店で一生を終わりたくない、もっと大きな仕事をしたい」

と言い出します。

予科練時代の戦友の父親の紹介で、東京の百貨店に就職するために上京しますが、現実は仁の思惑とは違っていました。

仁も、窯元に弟子入りした加世の子・希望も頼りにできず、おしんは養女の初子と二人で店を続ける覚悟を決めます。

昭和26年(1951)新春、田倉家に一人の客がありました。

 

昭和30年(1955)、おしんは戦死した雄の戦友、川村から駅前の土地を譲り受け、生鮮食料品店を営んでいました。

次男の仁はセルフサービス方式のスーパーマーケットに変えて、店を大きくしたいと考えていました。

おしんは、仁とお手伝いの百合が深い仲だと聞いていましたが、仁が結婚したいと言った相手は百合ではなく、川部道子と言う娘でした。

店の改造資金を道子の父親が出すと聞き、打算的な仁におしんはあきれます。

 

お手伝いの百合は傷心のまま、田倉家を去りました。

おしんのやりきれなさをよそに、仁はセルフサービス方式の店に賭けていました。

おしんは、自分の結婚にまで田倉商店の将来を託す仁がかわいそうでなりません。

ところが、婚約者の父親が設計も建築もすべて任せてほしいと言ってきました。

おしんは、自分の城に土足で踏み込まれる気がして

「田倉商店は自分のものだ。誰にも余計な事はさせない」

と突っぱねます。

女の意地でした。

 

銀行融資でセルフサービス方式の店に改造する計画が進みますが、成功するかどうかは大きな賭けでした。

仁と結婚した道子は、お嬢さん育ちで現代っ子。

おしんは、道子と常にぶつかり、嫁の味方をする仁とも経営方針などで対立します。

頼みの綱は希望が戻ることでしたが、おしんの願いとは裏腹に、希望は陶芸家として認められてきました。

その希望がおしんに結婚の許しを請います。

相手はかつて仁が捨てた百合でした。

 

昭和31年(1956)早春、窯元の仕事場で、希望と百合の結婚式が行われました。

師匠と陶工仲間による簡素な披露宴でしたが、堅実に生きていこうとする二人の姿に、おしんも感動して心から祝福します。

その頃、田倉商店はオープン準備で大忙し。

名古屋の大学に通う末娘の禎も呼び戻されますが、道子が店を手伝わないのを見て、自分も手伝わないと宣言します。

開店2日前、仁の少年飛行兵時代の後輩・崎田辰則がやってきました。

完結編

仁の後輩の辰則は、アメリカのスーパーマーケットで店員をした経験があり、役に立ちたいと言うのです。

その言葉通り、辰則は陰ひなたなく働く勤勉な青年でした。仁は妹の禎と辰則の結婚話を持ち出します。

禎は憤慨して大学に戻ったものの、まぶたに浮かぶのは懸命に働く母や辰則の姿でした。

禎は母を助けようと退学して家に戻り、自分から辰則にプロポーズしますが…。

一方、道子が長男・剛を産みました。おしんにとって初孫です。

 

昭和42年(1967)、セルフサービス方式の店を始めて10年余り、スーパーたのくらは、従業員20名の大店舗に発展しました。

仁や辰則がチェーン店を出すように迫り、おしんは希望の独立を条件にチェーン店化計画を許可します。

40年近く背負ってきた加代との約束を果たせるだけでなく、百合に対する償いでもありました。

希望夫婦が新居へ引っ越す前日、おしんと初子のもとに、百合が交通事故死したという知らせが届きます。

 

百合が交通事故で死に、4歳になる息子の圭が残されました。

希望が窯元として独立する矢先の出来事で、おしんは仕事が軌道に乗るまで圭を預かることにしました。

百合の葬儀を通じて、仁と百合の昔の関係を知った道子は、剛を連れて実家へ帰りますが、おしんが頭を下げたため道子は戻ってきました。

一方、圭をわが子のように可愛がる初子と孤独に耐えて仕事に打ち込む希望を幸福にしてやりたいと、おしんは思うのでした。

 

仁の強引な商法で次々にチェーン店を増やしますが、剛が学校帰りに盛り場をうろついて補導されました。

非行の原因は家庭内の不和だと聞き、おしんは仁家族と再び同居することにします。

これを機に初子は町で手芸店を開いて独立し、希望もスーパーの店内にギャラリーを設け、順調に歩み始めました。

昭和57年(1982)、スーパーたのくらは県下に16店舗を持つ中堅企業になり、おしんは81歳の誕生日を迎えます。

 

和58年(1983)、仁は恩人である浩太の店がある町に17号店を開こうとしていました。

おしんは浩太にわびますが、浩太は

「仁の考えは間違っていない」

と慰めます。

新店が完成した頃、同じ場所に大手スーパーが進出すると聞きながら、おしんは仁には知らせず、旅に出ます。

がむしゃらに生きてきて、どこかに大切な物を忘れてきたのだろうか…。

山形、酒田、東京、伊勢と巡り、おしんは自らの人生を振り返ります。

 

仁は、田倉の全力を注ぎ込んで百貨店並みの17号店を開店させましたが、大手スーパーの進出に地方の弱小スーパーは太刀打ちできません。

1号店から30年、仁は店を整理するとおしんに打ち明けました。

事業の失敗だけでなく、道子との離婚を聞いたおしんは大反対します。

「店はつぶれても一から出直すことはできるが、家族が離散しては元も子もない。

一人ではできなくても、家族がいればできることもある」

と説きます。

スポンサーリンク

おしんの1話から最終回までフル動画を見る方法!

おしんをネットで見ようと思うとNHKの公式で見ることができます。

 

NHKオンデマンドですとフル動画を見ることが出来ます。

当然ですが有料になりますがいつでも見ることが出来便利です。

 

私はU-NEXTというオンデマンドを利用しております。

こちらは初めて登録される方は31日間無料期間があります。

しかも特別に当サイトからの登録で月初めに登録したら1か月NHK特選見放題パックまで利用できます。

こちらについては、後で詳しく書いておきます。

 

と言うように、1話から最終回までフル動画を見る方法はあります。

しかも、違法にUPした動画ではなくちゃんとしたオンデマンドで見ることが出来ますからね。
便利な時代になりました。

 

しかも、パソコン・スマートフォン・タブレット・テレビで見ることが出来ます。

テレビはChromecastという機械を付けることで見ることが出来ます。

我が家はこのChromecastを付けてみております。

 

違法にUPされている動画もたくさんあります。

流石おしんだなとおもいますが、やはり画像がきたないのがおおいですね。

スポンサーリンク

おしんを無料で全話見る方法はあるの?

おしんを無料で全話見る方法はあるのか?

あります

こんな方法になります。

半分青いで説明しております。

 

ここから登録すれば通常600ポイントが1000ポイントもらえるようにしていただいております。

NHK特選見放題パック(月額972円税込み)に加入すると今までの大河ドラマや朝ドラをほぼすべて見ることが出来ます。

こちらで紹介しているのは、1ヶ月無料でみれた上に通常600ポイントが1000ポイント付きますのでかなりお得です。

ただ、次の月からはお金がかかりますので気をつけてくださいね。

じゃないと、無料で全話見れなかったとなってしまいます。

スポンサーリンク

まとめ

おしんの動画を見たいならこちら!小林綾子さんの演技がすごいという事で書くつもりが、おしんのあらすじを紹介する記事になってしまいました。

今のBSで朝ドラの「なつぞら」の前に「おしん」をしていて、はじめの回を見逃したんですね。

 

それで今回の記事を書くことにしました!

 

いや~懐かしい

そして、子供役の小林綾子さんの演技を紹介したかったから書いた記事だったんですけどね~

コメント